一家の主(あるじ)が、自分に万が一のことがあった場合に備えて生命保険に加入するのはいまや当たり前になっています。
ここ数年、低下傾向にあるとはいえ、生命保険の世帯加入率は87.5%にのぼるようです(財団法人 生命保険文化センター「平成18年度生命保険に関する全国実態調査<速報版>)。
生命保険がこれだけ広く浸透している理由はさまざまあるでしょうが、いわゆる生保レディといわれる人が生命保険の認知度向上に大きな貢献を果たしてきたことは言うまでもありません。
最近は、外資系生命保険会社の登場もあって減少しているようですが、昔は職域セールスといって、生保のおばさんが職場に入り込んできて保険の勧誘をするのが日常的な光景でした。新入社員たちは必ずと言ってよいほど、生保のおばさんの執拗な(?)セールスのあげく、わけのわからないまま申込書に印鑑を押していたものでした。
このようにして生命保険は国民の間に広がっていったのですが、生命保険には必ず「保険金受取人」が必要で、加入の際には誰でも必ず、保険金の受取人を指定しなければなりません。ふつうは、独身者なら自分の親、世帯主なら配偶者ということになるのですが、これが相続がらみの話になってくると、とても複雑な話に発展する場合があります。
その理由のひとつとして、原則として生命保険金は相続財産にはならないことがあります。
たとえば、親が加入していた生命保険の受取人が、子どものうちの一人だったりした場合です。相続財産ではありませんから、法律上、ほかの子どもたちは保険金を1円も受け取ることができない状況が生まれます。とりわけ、生命保険金以外に何の財産もない場合には、子ども同士で金銭をめぐって醜い争いごとに発展することも考えられます。
もちろん、受取人を法定相続人としておけば、もちろん法律上は公平に保険金を分配することができますが、ほかの相続財産の有無や種類によっては結果として公平にならない可能性もありますし、何よりも老後の親の世話の有無や貢献度合などの要素がからみ始めると、単に金銭的に遺族の生活保障をするだけの機能しか持たない生命保険は、かえって混乱を招く原因になってしまうことがあるのです。
そこで、大事になってくるのは、ほかならぬ死者(被相続人)の意思なのです。
つまり、遺言(ゆいごん、いごん)です。それも口頭ではなく、法律上一定の保護がされる遺言書の存在が必要になります。
一般的に遺言書といえば、財産のある資産家だけに関係するものと思いがちですが、実は全く違います。
相続税対策と相続対策は違うというお話をしましたが、そのときと全く同様の理由で、すべての人に遺言書は必要であるといって過言ではありません。
ところが、生命保険加入率とは違って、遺言書は全くと言ってよいほど国民には認知されていません。
遺言書には大きく分けて、自筆証書遺言と公正証書遺言の2つがあります。
前者はその名のとおり、自筆で作成する遺言書であって、その存在すらオープンにされませんので、いったいどのくらいの遺言書が作成されているかは全く不明です。ただし、自筆証書遺言に必要な「検認」という手続きの受理件数は平成18年度で、約12,600件といわれています(最高裁判所司法統計)。
後者は公証役場で作成する遺言書ですので、こちらは統計があります。ちなみに、公正証書による遺言書は、平成18年度のデータでは、7万件を超えているそうです(日本公証人連合会ホームページより)。
つまり、「検認」されていない遺言書を含めたとしても、遺言書が作成されている件数は概ね年間で10万件というのがいいところだと思います。ちなみに、年間の死亡者は、約110万人ですので、遺言書作成率は約9%になります。
遺言作成率の9%というのは、分母の110万人という数字が、すべて本当に遺言作成を必要とする人かどうかという判断をしていませんので、とても粗い数字であることに違いはありませんが、それでも、生命保険加入率が約90%であることに比べれば、圧倒的に少ない数字であることがわかります。
つまり、自分の死後に遺族が困らないようにということでは全く同じであるはずの生命保険と遺言書で、国民の間に、これだけの意識の差があるのです。生命保険ももちろん大事なものですが、それに反映される死者(被相続人)の意思は、わずかに死亡保険金受取人の指定ということでしかありません。
「生命保険と遺言書はセットである」べきです。
やはり、自分の意思を残された遺族のためにしっかりと伝える方法は遺言書以外にはないのです。
自分の意思を明確に家族に伝えることが、残された家族のためにいまできることなのです。









